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チェチェン料理を食べに行こう!
「チェチェン料理を食べに行かないか?」 マイルベックに誘われたのは先週のこと。チェチェン料理、と言われてもぼくには全く想像もつかない。パン食であることぐらいはかろうじて知っているけれど、イメージすらわかない。トルコ料理に似ているのだろうか? 料理の感じを聞いてみると、「とにかく肉だ」と彼は言う。それ以上の説明はない。マイルベックは必要以上の説明はしない。肉、ありがたく戴こうじゃありませんか。そうしてぼくが向かったのは、マイルベックのアパートでも、チェチェン料理レストランでもなく、イスタンブルはアジア側のフェネルバフチェ、チェチェン人の難民キャンプだった。 それって時どきある 19日、17時に大学の校門で待ち合わせして、アジア側へのフェリーが発着するベシクタシュへぼくらは向かった。マイルベックは、日本語のテキストを脇に抱えていた。来週中間試験があるらしい。チェチェン語、ロシア語、英語、トルコ語を知りながら、5番目の言語として日本語を勉強しているというから物凄い。 「やばい。来週同じ日にテストが二つ重なった。どっちかは駄目かもしれない」と彼は言う。最近、ちょっと忙しいらしく、日本語のテストを追試で受けられないか先生に聞いたが、あえなく却下されたということだ。学校からベシクタシュまでの渋滞を抜けると、ベシクタシュでぼくらは船に乗った。 フェリーに乗ってチャイを飲むと、ぼくらは艫(とも)の方の甲板に出た。二人でたばこを吸う。ストレスのせいか、彼は最近止めていたたばこを吸い始めた。「たばこを吸うと、体がだるくなるんだよな」と言いながらたばこを吸っている。スモーカーたちの煙り漂う甲板から窓越しに海を眺めていると、先週あった船の衝突事故を思い出した。 「先週、海に霧が出て船が衝突したらしいよ。俺、その二つ前くらいの船に乗っていたらしいんだ。その時は霧なんて出てなかったんだけど」とぼくは言った 「海と言えば、俺の兄は、第2次チェチェン戦争の時、仕事の帰りに市場で魚を買おうと思ってたんだけど、忘れて通り過ぎ、それから戻って買おうかと思ったけど、いいや、家の近くで買おうと思い直して家に帰ったんだ。そうしたらカスピ海からロシアが撃ったミサイルが市場に直撃した。たくさん人が死んだが、兄は助かった。何が起こるか分からないもんだ」 彼は、「それって時どきあるよね」、とでも話すかのような口ぶりで言ってのける。ぼくは一瞬言葉につまり、「そうか」とだけ言った。彼は事故よりも爆撃のほうが身近な国から来たのだ。彼らの国では想像可能な出来事なのだ。 対岸のカドキョイに着くと、マイルベックの友人が待っていた。 「俺は、エルカン、よろしく。ボアジチ大学の物理学部。」握手をしてこちらも自己紹介をする。 でも、エルカン? エルカンという名前は、トルコ人っぽい語感がする。友達がもう一人来ると言うから、その人もまたマイルベックのような境遇にあるチェチェン人なのかと思っていたのだが。 いぶかしんで、「トルコ人なの?」とぼくが聞くと、 「トルコ国民、でも民族的にはチェルケス人になる。」とぼくが理解できるか顔色をうかがいつつエルカンは言う。 「彼の家族は例の、1864年の移民だ」と、マイルベックが補足する。「チェルケス人とチェチェン人の違いってなんなの?」とぼくが聞くと、「要は、チェルケス人というのは、チェチェン人と同じ土地に住んでいた隣人だったんだ」とエルカンは言う。ぼくらは、ドルムシュ(乗合タクシー)に乗り込むとフェネルバフチェに向けて出発した。 世界の裏側へ 「これ、見たことある?」 エルカンが指差す方には、サッカー場があった。初めて見た。フェネルバフチェ・スタジアムだ。フェネルバフチェはトルコの強豪サッカー・クラブで、日本でもおなじみのジーコが監督を務めている。現在首位を独走中だ。 「もしや、フェネルバフチェのファン?」と彼に聞くと、 言いにくそうに、「いや、サカリヤ・スポーのファン」と彼は言ってから付け足した。「俺、サカリヤ出身なんだ。でも、現在びりを独走中」。 エルカンは、親の代からトルコ育ちだ。マイルベックは本人自身が一種の難民なので想像はつくが、彼はどういう経路で難民キャンプとのつながりを持ち始めたのだろう。何かNGOなり、政治団体なりのつながりがあるのかと思って聞いてみると、 「友達の友達つながり。マイルベックに教えてもらった」と言う。 彼はキャンプを月に一度は訪れる。「何をしに行くの」と聞いてみると、「彼らを支援するために」と言うかわりに、「世間話をしに」とちょっと恥ずかしそうにして言った。「何してんだ、俺たちを見捨てたのか、飯を食いに来いって時どき電話がかかって来るんだ…」 スタジアムからしばらくしてぼくたちはドルムシュを降りた。海岸の方に向かって歩みを進める。 エルタンは、「ここはアジア大陸のベベックさ」と言う。ベベックというのは、ヨーロッパ側にある超のつく高級住宅街だ。東京で言えば、麻布かはたまた白金だろうか。 それは言い過ぎだよとも思うのだけれど、確かに海辺にはクルーザーが密生する葦のように並び、住宅街にはぽつぽつと間を置いて上品な感じのオープンカフェが立ち並ぶ。見るからに金持ちらしい身なりのよいトルコ人たちが、道を行き、またくつろいでいた。 それが世界の表側だとすると、ぼくたちが訪れた場所は、そこからたった数百メートル先なんだけれど、世界の裏側と言えるのかもしれない。長い何かの施設の塀をたどって行った先に、青い門が現れた。 アブディさん一家の暮らし 青い門の中は、30軒ほどの小さな家がありさながらひとつの村になっている。ぼくらが訪れた家に住んでいたのは、アブディさんに、奥さんのアイシャさん、娘のファティマちゃんだ。彼らの家は、元鉄道会社の宿舎を利用したものだ。 小さな4畳半ほどの部屋にはテレビやパソコンまである。アブディさんは、お邪魔するなり、テレビの前に座ると、何やら抽象的な模様の入った木工細工を見せてくれた。2ヶ月前から習っているという。「これは、ビスミッラー…で、これは…でアラビア語で書かれていて…」と説明してくれるが、その抽象的な模様は元のアラビア語の形が消えて、抽象的な幾何学模様になっていて面白い。 そのような木工細工を習うのも、実のところアブディさんには仕事がないからなのだ。 第2次チェチェン戦争が始まった99年、一家そろってチェチェンを脱出。一年後にトルコに逃げてきた。グルジアで車を500ドルで叩き売って手にしたお金で偽造パスポートを買ったのだと言う。パスポートがないので、彼はもう帰国することができない。 現在、奥さんは子守りの仕事をしているそうなのだが、彼には仕事が見つからない。チェチェンでは大学も卒業している。後で聞いた話では、彼はテレビ局で働いていたらしい。部屋には一見難民には不釣合いのように思われるかも知れないが、ロシア語などの本が数十冊並んでいた。 しかしトルコではシステムも違えば、言葉も違う。こういう場合、男にとってのほうが仕事を見つけるのが難しいようだ。カフカスの男は特にプライドが高いことで知られている。「50歳からでも大学に行こうかな」とアブディさんはおそらく本気で言っていた。 この辺の事情は、本当は今回は聞けなくてもいいと思っていた。だが、アブディさんは世界のメディアなどから度々取材を受けていて、たまたま03年に書かれた朝日新聞の新聞記事も大切に保管されていたのを彼は思い出し、ぼくに見せてくれたのだ。その際、ぼくはせっかくだから何を書いてあるか翻訳しましょうと申し出た。 人の心を無意味に傷つける記事だと思う。 話としては、2003年にあったイスタンブルでの「連続自爆テロ」についての連載記事で、犯行グループに「チェチェン武装勢力」が混ざっていた疑いがあり、それを生む土壌と成り得る貧しい難民の生活というのが、アブディさんたちの構成要素的な取上げられ方だったと思う。 彼らは、高級住宅街と対照的な「暗くて沈んだ」場所の約15平方mの「小さくて粗末な」家に住み、ぼくが訪れた現在はあるのだが、「電気もなく」、「トイレはあるが台所のない」生活をしているとそこには書かれている。収入は奥さんが掃除婦として稼ぐ月額45ドルしかない。こういう記事の場合、書き手はないものばかり書こうとして、あるものは書かないことが多い。 その中にアブディさんが、理解しようとしなかった文章があった。つまり、トルコ語に翻訳した時に、明らかに意味内容は理解しているが、受け入れようとしなかった言葉があった。それは彼自身の、おそらくは率直なコメントなのだ。 「無為な日々に疲れた。どこでもいいから国籍をくれればその国のために一生懸命働く」とぼくはそれを読んだ。そう彼は記者に話したのだろうとぼくは思う。彼は「何て言ったのか分からない」と言った。マイルベックがぼくのへたなトルコ語を修正して読んだ。それでも彼は、「分からない」と言う。彼はすでに7年もトルコにいる。 倦怠感と苦悩の漂う本音が文字化されることで、ひとりの気高い男のプライドが大きくくじかれたのだとぼくは思う。国を棄てるというのは、彼らにとって大きな恥だから。 こういう話の合間合間を邪魔して、割って入って、笑わせてくれるのが娘のファティマちゃんだった。小学校5年生。とにかく無邪気でかわいい。いやほんとに。 どこから持って来たのかてのひらサイズの地球儀をグルグル回しながら遊ぶ。 「日本どこか分かる?」と聞いてみると、 「わかんなーい。」 「これこれ、この端にあるやつ。こっからおじさんは来たんだよ。」 「へー。みんながどこから来たか、探してあげる」と彼女は意味不明なことを言うと、グルグル地球儀を回して止まったところの地名で、エルカンは、アフリカ人、父さんはアメリカ人、マイルベックもアメリカ人、ぼくは太平洋人、みたいな遊びが始まる。それが止まらない。 ぼくが持ってきたカメラで遊んでた時は、はしゃぎ過ぎて父親に蹴りを入れらていた。 世界の裏側の料理を食べる そんなこんなで20時も過ぎた頃だと思う。どこからともなくご近所さんのチェチェン人の青年2人とおじさんがやってきた。これがレスラーのようにでかい。そしていかつい。すでに会話はチェチェン語一色となり、何をしゃべっているかさっぱり分からず。エルタンとぼくは置いてけぼりだ。マイルベックもすでに通訳を放棄している。それでもチェチェン人のトークは続く。 時どき、アブディさんが通訳しつつ、「このおじさん、この間、頭の血管が膨れて手術したんだけど、その時脳みそがないことが分かったんだ」などブラックジョークを飛ばす。 それもいいけど飯だ。やっとチェチェン料理が出てきた。チェチェンの民族衣装に、白い薄手のスカーフをつけたアイシャさんが、「いらっしゃい、召し上がれと」言って、大きなタライを持ってきた。 男7人(それも3人は巨漢!)、部屋にぎゅうぎゅう詰めで身を寄せ合い、肉にフォークを突き刺し、千切る。にんにく汁につける。口に放り込む。咀嚼し、飲み込む。味は羊そのものの味の勝負。茹で加減は絶妙。羊の臭みはにんにく汁が溶かしこみ、中和。ガウルッシュは食感を楽しむ。歯ごたえがある。単純にして豪快な料理である。 肉も、ガウルッシュもほとんど無味。美味というよりは、肉と脂の重みを腹の中に砲丸のように残す。マイルベックが言った通り、本当に「とにかく肉」な料理だった。 チェチェンという国は… お茶を頂き、一服してから礼を言うと、ぼくらは外に出た。外は雨が降っていた。暗い夜道に、家の灯かりが優しくもれる中、外では近所の人が雨も気にせず何やら立ち話をしていた。ぼくらは挨拶をして家に戻ることにした。カドキョイからの船はもう終わっていて、ぼくらはドルムシュでウスキュダルに向かった。 「あのさ、ひとつ聞きたいことがあるんだけど」ぼくは話を切り出した。 「チェチェンでは伝統的には男と女は別れて食事するんだよね?」 「今日みたいに客が来た時はね。普通は、一緒に食べる」マイルベックは答える。 「別々に食べる時、男の残り物を女性たちが食べるとかっていうことは…」ぼくは、恐る恐る聞いた。 「まさか、ないない。そんなことはない。」普通に笑われてしまった。アフガニスタンかどこかでそういう風習があって、客がそれを知らずに食事を食べ過ぎて女子供が食べる分がなくなってしまったなんていう失敗談を聞いたことがあった。それで、じつは今回の夕食、少し遠慮して食べてしまった。 エルカンは、「キャンプでどういう印象を受けた?」とぼくに聞いた。 こういう質問に答えるのはいつもとても難しいと思う。彼らは厳しい状況にいるのは間違いない。仕事がない。居住許可も出ない。アブディさんたちはパスポートもなく、ロシアに目をつけられていることもあってもう故国には帰れないと言う。ペラペラとトルコ語を話すファーティマちゃんだって学校では聴講生扱いで、卒業資格が与えられていない。生計だってギリギリ立てているというのが実状だ。 「別の国に来たみたいに感じた。それに、彼らはきつい状況にいると思う」とぼくは言って、でも、それは事実なのだが、それだけでは何かが足りないと考えていた。すると、エルカンが、言葉を継ぐように 「でも、ああやって笑い合って暮らしているんだよね」と言った。多分彼はそれが見たくて毎月キャンプを訪れるのだとぼくは思う。 ウスキュダルでエルカンと別れ、マイルベックと一緒にベシクタシュ行きの高速フェリーボートに乗った。 席はガラガラだった。 「実は、あの親子、本当の親子ではないんだ。」マイルベックは言った。「ファティマも気付いていないんだけど、ファティマはアブディの兄弟の子供なんだ。その人が刑務所に送られることになって、娘を彼に託したんだ。」 「兄弟の子供…」 「そう。チェチェンという国は、複雑なのさ。」 マイルベックはままあることであるかのように言って黙った。 了
by swetching
| 2007-04-26 01:33
| アルカダッシュに聞いてみる
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