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トルコ・イスタンブルに流学中の末澤寧史(すえざわ・やすふみ)のブログ
by swetching
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トルコで働いてみるの巻 後編
さっそく電話をかけると社長が電話をとった。
「ああ、どうも。お元気ですか?」と社長は妙に恭しく笑いながら話してくる。いかにもわざとらしい。
「メール読んでもらったと思いますが…」とぼくが説明すると、
「もちろん。先方に原稿を提出してあなたが言ったように説明しました。向こうがそれを受け入れれば全額払いますよ」
「いやいや、そういう問題じゃないでしょ。3万で約束したじゃないですか。ふざけないでください。」とぼくは言う。
「だから翻訳後の言語で…」と話を繰り返し同道巡りでらちがあかない。
「もう、話にならない。直接会って話しましょう」とぼくが切り出すと向こうもそれに応じた。
「それでは、明日の14時にウスキュダルのオフィスでお待ちしています。」

そうして翌日ぼくはアジア側のウスキュダルに向かった。

ウスキュダルはヨーロッパ側よりずっと古い地域で、住んでるひとびともまた独特な雰囲気がある。一言で言えば若干宗教色が強く、アナトリアのにおいがする。垢抜けたヨーロッパのにおいがする地区とは好対照な地域だ。

そのウスキュダルの中心部から徒歩5分ほどのビルの一室が通訳会社の事務所になっていた。呼び鈴をならしすといやに若い社員がぼくを迎え入れた。室内は簡素で広くはなく、パソコンや冊子、辞書など必要最低限だけが置かれているという印象だ。

窓際に社長がいて、笑顔で話し掛けてくる。清潔感のある格好をしていてインテリ然とした人だ。
「こんにちは。名前は何だったかな?ヤスフミ。どういう意味ですか?」など当り障りのない会話が始まる。ぼくはぶすっとして言葉すくなに対応する。話がすぐに途切れる。

「それで、翻訳の話だけど」と話を切り出す。
「どうやら話しに行き違いがあるようだけど、私たちは翻訳後の言語の字数値で計算をしているんです。」と彼は同じ話を繰り返す。「日本語もトルコ語の単語数と同じくらいの字数になると思ってたんですけどなりませんでした。」

こちらにとってはバカにしてくれるなという話である。だからおとなしく半額を受け取れと言うのか?
「もし同じくらいの字数だったら3万払うんですか?」と聞くと、「払う」と答える。ばからしい。「平仮名で全部書けと言うんですか?」と改めて日本語について説明すると、「だから先方がそれで納得すれば全額払う」とまた話が変なところにいく。

ぼくはあなたたちと仕事をしたわけであって、あなたたちの顧客とは関係ないでしょ。責任は感じないんですか?」と語調を強めるが、さすがペテン師、表情も崩さずに「お互い誤解があったようだね」と、また話が最初に戻る。

らちがあかないので、ちょっと日本語から話をそらして、他の言語だといくらになるか聞いてみると、英語など訳者が多い言語は単語×5円くらいだと言う。その計算だと半額の1万5000円すらいかないことになる。しかし他の特殊言語について問い詰めると、値段は5倍になるとやっぱり言う。

ちなみに別の機会に日本語訳の仕事はいくらになったか聞いてみた。「マレーシア人で日本語を知っている人に単語×5円くらいでやってもらった」と言う。論外だ。ネィティブじゃない。安くて当たり前じゃないか。
「日本人は?」と、聞くと「4,5pの仕事で100ドル」と言う。 ぼくの原稿は6pだ。まさかそんなに安く働くだろうかと思って元原稿を覗いてみると、単語数が5800字でぼくが請け負った仕事の半分以下。そりゃ100ドルになるさ。
「それじゃ理屈で考えて最低2倍にはなるはずでしょ?」と言うと、先方しめたという顔で、「200ドルでいいのかね」と切り返す。なかなかのつわものだ。「最低と言いましたよね」とぼくも負けてはいない。

「あなたとはこれからも仕事をしたい。一回で終わりなら全額払ってもいいが、継続的に仕事を仕事をしたいから今回はこれでどうだろう」と次第に社長はわけのわからないことを言い出す始末。「これからも働きたいならなおさら払いなさいよ」とこちらはあきれてしまう。

「きみ、翻訳の仕事は初めてなんじゃないかい?」と今後は相手が攻勢に出てきた。「いや、翻訳協力した本を一冊出しました」とここはあえて誇張的に表現する。「こういう形でするのは初めてだろ?」、「そうだけど、なにか?」、「だから翻訳後の言語の字数値というのがルールになっていて」と同じ話を繰り返す。「それは友達に聞いたけど、合意によって変わるらしいじゃないですか」と言うと、相手はちょっとたじろいだ。

続けて「3万にならないんだったらもともとこの仕事を引き受けるつもりはなかった」とぼくが攻めると、「こっちだってそれだったら他のひとに頼んでいた」と言う。ここでぼくは一瞬つまってしまった。が、これも嘘だ。だいたい訳者がいないからこの仕事はぼくに回ってきたのだ。

向こうもああ言えばこう言うで、まったくらちがあかない。理屈では自分が勝っているはずなのだが相手はがんとして自分の非を認めない。こりゃいかんと思って趣向を変えてみる。

「あぁあ、このお金、帰りの航空券代にあてるつもりだったのに…」とわざとらしく泣き落としにかかる。

すると、向こうの対応が豹変した。
「そういうことだったらポケットマネーから出してあげよう」

これで全ては解決したのだった。
なんともあっさりと合意に達した瞬間だった。
相手の表情にはまったく同情の色は見られない。ようは、互いのプライドを傷つけない落としどころだったのだ。

おっさんは、「稼ぎが出ない」とおおげさにいいながら前金として5000円ほどをぼくに渡し、残りは翌週払うと言った。もちろん「稼ぎが出ない」というのは、商人の常套句で、まるっきりの嘘。稼ぎのない仕事を商人がするわけがない。つまり、このおっさん一見インテリに見えるが、根っからの商人なのだ。

話をしていても、「君、ムスリム?ちがうの。ムスリムにしてあげるよ」と失礼なことを言ってくるなど、いささかも都会的なセンスは感じられない。のちのち背景を調べてみると彼はどうやらクルド人のようだった。クルド人はトルコ人が言うに、金儲けがうまいらしい。いなかから都会に渡ってきて一旗あげてきた男というわけだ、そりゃ勝負強いし、山師のような雰囲気にもなる。

給料全額確保に成功した後、端数部分の値引き交渉がしつこく行われ最悪にうんざりしたが、もうそれは許してあげることにした。もらうべき給料の額にはすでに達していたのだから。

帰りのヨーロッパ側に渡るフェリーにぼくはじつに爽快な気分で乗り込んだ。
結果としてトルコの商人に勝ったわけではないのだが、負けなかったというのは爽快で、これがトルコで働くということなんだと思う。たぶん。こうして日本ではなかなか得がたい経験と、ちょっとばかりのこづかいを手にしたのだった。

☆教訓☆

トルコ人と金銭が絡んだ口論になったら真正面から議論をせず情に訴えるのが有効策。トルコ人は負けず嫌い。互いに正義を主張しあっても分かり合えることはなかなかない。論理で勝てばいいというのは合理主義的な思い込みである。弱みを見せ、情にほださせることで相手に譲歩のチャンスを与えるべし。すると相手は気分を害すこともなくしょうがないなと自分を譲る。こっちも演技だから自分のプライドを傷つけることなく実を得られる。

理のみでは人間は動かないのである。中東では汝策士たれ!

注意しなくてはならないのは、あくまでこれはペテン師ないし商人対策だということで、トルコ人一般はほんとにいい人ばかりだということです。

追記:

結局先方も顧客の説得に成功したらしく(当たり前)、今回損したものは誰もいませんでした。
ぼくも残りの給料を無事受け取りました。まったくもって人騒がせな話だったのでした。
ほんとトルコはひとを成長させてくれます。
by swetching | 2007-08-19 04:19
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